『山ん中の獅見朋成雄』『好き好き大好き超愛してる。』

 そんでもって今日は読書。2冊読了。一気に感想いきましょう。
舞城王太郎『山ん中の獅見朋成雄』(講談社
 まず、表紙がざらざらしていて素敵。ついでに表紙を剥いだ本体も和紙っぽい質感で好ましい。装丁がすっげー綺麗です。暗くて、ジンジンと何か訴えかけてくる感じが、内容にもよく合っていたのではないでしょうか? 1枚目の薄い葉っぱの絵の紙にじんわり向こうのタイトルが見えているのも素敵でした。

 しかし、小説の筋というか…何が言いたいのか、よく分からない話でした。舞城さんなりのファンタジーかな? とか思ってしまったくらいです。唐突にわけが分からなくなる。鬣の話とかは面白かったのに、急に現実感が薄れる。それがちょっと嫌でした。現代小説とかいうジャンルでいいのかな? 判断に困ります。物語として読むべきなのか、それとも私の頭が悪いだけで、もっとこれはウチに秘めた寓話的な話として読むべきなのか…。

 とりあえず、オススメはしません。かわった話が好きな方ならいいかもしれませんが、一般ウケはムリかと思います。ちょっと私も舞城さんを読み続けるのがしんどくなってきました。

山ん中の獅見朋成雄

山ん中の獅見朋成雄

舞城王太郎好き好き大好き超愛してる。』(講談社
 パッションピンク!! しかも字も銀色にきらきら。本屋で見た瞬間に恥ずかしくなりました。こんな本を持ってレジに並べろというのか!って(笑)だけど、これは茶化してない純粋なラブストーリーでした。舞城節の毒々しい文章は健在ですが、それでもこれは綺麗な奇麗な恋物語のカタチです。そして、同時に物語を書く人に対する免罪符にも成り得る小説です。ええ、作者自身にもその「祈り」を適用させているのだと私は思いました。

 人を愛することって、どういうことなんだろう。自分中心じゃなくて、その人まで中心に考えることかと思っていたけれど、ちょっと違うのかもしれない。結局の所、人間っていうのは自分一人の感情しかはかれないんだから(そしてそれが計れない場合だってあるんだから)、自己満足の「好き」が重なり合っての「愛」でもいいかな、とか思ってしまいました。「相手が幸せなら自分も幸せ」とか言うけど、それは逆にも当てはめるべきだと思います。「自分が幸せだから、相手も幸せ」それは自己中だし、自分勝手だし、ナルシストだと思うけど、そうだと嬉しいな、と思うべきではないでしょうか? 治さんが「一生柿緒以外の女の子を好きにならない」と言った所で、私はそう思ってしまいました。彼は柿緒さんが死んだ後、一人生きる時…きっと違う人が好きになることもあるだろう、だけどその気持ちを罪だと思ってしまうだろう未来を想定した上で、そんな約束をするのです。今、確かにそういう気持ちだから。未来は関係なくて。たった今の自分に正直に言った彼に涙が零れました。愛するって、やっぱそういうものだと思うから。緩やかな恋愛で、激しい愛で、まるで逆みたいでギャグみたいだけど、確かだな、と感じました。

 しかし、次の話…「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」は読んでいて疲れました。久々に斜め読みしちゃいました。意味不明なんですもん。

好き好き大好き超愛してる。

好き好き大好き超愛してる。

 というわけで、舞城週間も今日で終了。ちょっと食傷気味。もう舞城さんはしばらくいいや。…というか、もう買わない作家にしようかとも思ってしまってます。講談社ノベルスは買うけどね…ハードはもういいや。そして明日からは東川さん週間開始…かな?