今また同じ風が吹く〜日吉蘇枋のための物語〜vol.2

 出会った時と同じ真剣な眼差しで、そして迫力で、平手打ちを喰らわせて彼女は「最低」と吐き捨てた。パンっという肌がぶつかる音に一瞬食堂中が静まり返った。
「最低ですかね?」
「じゃなきゃ悪趣味」
「はいはい、すいませんね、悪趣味でいい加減で下品で節操ナシで軽くて」
 今までに吐かれた名称を全部挙げてみた。だけどそれにかっとなるような女ではなかった。逆に哀れむような瞳でオレを見てくる。……違う。馬鹿にしたような目で、だ。
「そんなカケは今すぐ止めて。第一カケにならないでしょう?」
「まーねー…君が絶対に落ちない、の方にばっか集まってる」
『日吉透子は東堂蘇枋に落ちるか否か』
 医学部の間で日毎交わされる会話の中にそんな話題があった。女に不自由したことがないオレが熱烈に一人の女にアプローチを掛けている、という時点で信じないヤツも多数いた。だけど残念ながら真実だ。そしてオレの友人や、透子の友人達はもっと信じられない気持ちで事態を見ているらしい。どこがアプローチだか、どこが口説かれているのか分からないらしい。
 天敵同士だ、と誰かかが言った。敵なんて見方してないけれど、確かに、こんなに手強い女をオレは知らない。そういう意味では十分に強敵だ。甘い言葉も、自慢の顔も通用しない。金持ちだし、頭もいいから、付け入るスキさえない。甘えも情けも効かない。難攻不落の要塞のようだ。だからこそ、オレはありったけの真剣さで向き合っているつもりなのに。
「何度も言ってるけど、きちんと理解してもらってる? 私は、貴方なんかと、つきあう気は、まったく、これっぽっちもありません」
「今は、だろ? 諦めないぜ、オレは」
「……最低」
 吐き捨てるように、彼女はもう一度言った。
 そしてその足で、彼女は食堂から出ようとした。
「待てってば。オムライス冷めるぜ? 置きっぱなしでいいのか?」
「貴方と同じ空間にいたくないから」
「自分で買ったモノには最後まで責任持てよ」
 彼女は立ち止まり、振り返った。酷く悔しそうな顔でオレを見ていた。しまった。言い方が悪すぎた。彼女の足が止まるように、あえて彼女が罪悪感を覚えるような言い方をしてみた。だけど、口説いている男としては落第点だ。
「あー……透子、ただでさえ細いんだから食わないと持たないぞ?」
「とってつけたように言わないで。それから人のことを勝手に名前で呼ばないで」
「……分かった。じゃー透子さん、オムライスの代金払うから」
 オレはポケットから千円札を出して彼女に押しつけた。また、不愉快そうな顔。いちいち真面目で、地に足をつけて生きている彼女は、軽々しいオレの思いつきが許せないらしい。だけど、そういうのを全部壊してやりたい。いらないという言葉を吐かれる前に、オレはさらに言葉を重ねた。
「で、正直な所だ、落ちる方に賭けてんのはオレ一人なワケ。だから、透子もこっちに賭けて、二人で総取りしないか? そんで豪華なデートとか」
 涼やかな透子の目元に深いシワ。日本美人という感じの彼女だけど、表情はとんでもなく豊かだとオレは思う。だけど、簡単に見とれていられるはずもない。
「……オムライスのおつり……私も賭けるわ。絶対に落ちない、という方に!!」
 2百円を財布から出して、オレにめいっぱいの力で投げつけると彼女は踵を返し、颯爽と歩きだした。姿勢の良さは相変わらずで、黒い髪とか、きびきびした歩き方とか、本当に印象的で。
「はは…いー女……」
 ベタ惚れだと笑われるくらいに、オレは真摯なつもりだった。