今また同じ風が吹く〜日吉蘇枋のための物語〜vol.3
爪が食い込む程の握り拳を作りながら、だけど勝ち誇ったような笑顔で、彼女は「つきあってもいいよ」と言った。授業の終わったばかりの講義室はざわめきを残していて、オレ達の会話が隅々まで浸透することはなかった。
「……どーゆー心境の変化?」
散々、これでもかという程に人のことを軽蔑しておいて。この期に及んでの告白に、オレは正直面食らった。喜びたいけれど、訝しむ気持ちの方が勝った。
「1年も2年もつきまとってこられて、根負けしたの」
「嘘吐け」
嫌いだと、何十回何百回と言った相手をそう簡単に認めるような女じゃない。かと言って、最近劇的な事件が起こったワケでもない。
彼女は教科書を小脇に抱え直しながら言った。
「ほら、周りの友達がみんな彼氏持ち始めて一人になってるから」
「へー…だから徹底的に妥協してオレなんかで手を打つってワケ?」
違う。そんな浅はかな女じゃない。周りがどうとか、そんなことは一切関係ないんだ。日吉透子という人間は、一人でも生きていける人間だから。
「見合いでも勧められた?」
「……え?」
「ソレぶっつぶす為の、策略とか?」
そうとしか、思えなかった。
最低な人間と付き合ってまでしたいこと…それは、きっと他の何かからの逃避。忘れがちではあるけれど、彼女は大病院の院長の娘。この年になれば、縁談だって当たり前の話となるのだろう。
「オレなら、喜んでそーゆーイベント壊しそうとか思って?」
「………」
「ま、いーけどね。利用されるのも悪くないし」
スキな女の為なら、なんだってするのが男という生き物だから。そして、ずっと先を見て歩いている彼女のコマにされるという一幕も面白いだろうと漠然と感じた。そして、彼女が信頼を置いている友達にも、教師にも頼めない何か…それをオレに授けてきたのが、純粋に嬉しかった。
「ただ、分かってる? オレと付き合うんだぜ? 遊びじゃなく」
「そのつもりよ?」
気丈な瞳が、少しだけ不安げに揺れているのを、見て見ぬフリをした。
「ふーん、見事な覚悟で。……じゃあ証明がてら、キスさせろよ、ここで」
彼女の腕を握って、意地の悪い笑い方をしてみせた。わざと。そうすれば、彼女は即座に怒って、言ったことを取り消すだろう、と思っていた。また「最低」だとか「常識はずれ」だとか言われて、平手打ちをしてきてもおかしくないと、内心身構えてもいた。
なのに…
彼女はぎゅっ目を瞑って、少しだけオトガイを上げた。
握り拳はそのままで、だけれど、それは決して殴るために用意されているわけではなかった。
触れたくちびるからは、何の感情も流れて来なかった。ただ、とてつもない覚悟だけが、そこにあった。
しかし、オレが想像した以上の理由が、彼女のその覚悟の中には隠されていた。