今また同じ風が吹く〜日吉蘇枋のための物語第三章vol.4〜

 白衣の他でよく見る格好と言えば、“喪服”だった。
 いつ何時でも通夜や葬式に出られるように病院に喪服や数珠を一式置いているのを見たことがある。
 長く生きていれば、その分別れもたくさんあると彼は言った。しかし、その大半はしがらみにしか過ぎないことをオレは知っていた。院長なんてやっていたら、病院関係者の冠婚葬祭に関わらざるを得ないものだ。…つまり、それは未来のオレ自身の姿でもあった。
 もちろん、機械的に淡々と立場だけを考えて出席すればいい。
 だからこそ、気になったのだ。
 身近な人間の死でも、彼は穏やかさを失わないのかと。

 オレは「最愛の人が死ぬ時も、笑っていたんですか?」と聞いた。答えは簡潔だった。
「そりゃあ泣いたよ。最愛の人が逝った時は」
 いつもの微笑みを湛えた表情で言いのける。義理の息子として忠告した方がいいだろうか、「嘘に敏感な人間の前では、その笑顔は足下をすくわれる原因になる」と。
「しかし、相変わらず遠慮なく聞くね」
「義理の父親のことを知りたいと思うのはおかしいですか?」
「君に限って言えば、おかしい」
「酷い言い様ですね。…でも、まぁ否定はしませんが」
「好奇心かい? それとも、どれ程死に冷徹になれるか、参考に?」
「遠慮ないのはどっちですか?」
「娘婿にそんなものいらんだろう」
 とはいえ、オレは正直嬉しかった。病院内の誰も知らない院長の姿がここにある。この人は、優しく厳しいだけの人ではない。穏やかで人格者だなんて嘘だ。遠慮がないのが家族の証だとは思わないが、少なからず認めてくれている気がした。
 透子が前向きに死にたがっているように、この人もまた表面と中身がかけ離れている。
 その内容までは分からない。ただ、その影は見える。
奥さんが亡くなられた時、哀しかったですか?」
「さっきの質問とどう違う?」
「別に哀しくなくても涙は出ます」
「…妻が亡くなった時は哀しかったよ。どうして生きていけばいいか分からない程に。そして、怖かった」
「怖かった?」
「存外、平気だった自分が怖かった」
「矛盾してません? どうして生きていけばいいか分からないのに、平気だった…?」
「生き方が分からないくらいに哀しくて、でもその哀しさに平気だった自分が怖かったんだ」
「意味が分かりません」
 透子の理系なくせに文学的な思考は、間違いなくこの人の受け売りだと思う。論理的に考えてしまう自分には理解できない、恐ろしく詩的な感情がたまに漏れて、オレは狼狽する。
「じゃあ、平気じゃないような死がありましたか?」

 院長先生はやわらかく目を細めた。
 嘘を吐く、その合図であるかのように。

「最愛の人を殺した時は、平気じゃなかった」

 オレは知らなかった。「最愛の人」と「奥さん」がイコールで結ばれていないことを。