『捨てがたき人々』

東京国際映画祭コンペティション部門選出作品。
役者としても活躍されている榊英雄監督の5本目の映画です。

決して一般受けするような内容ではありません。…が、すごく残ります。
見てる時はその熱量と、また同じくらいの寂寞さみたいなものに圧倒されるんですけど、1日以上経った今も、なんか……ココロに、こう……ずどんと。
見終わってから、見た人同士であーだこーだ言うのが正しい作品な気がします。問題提起…というわけでは決してないんだけど、色んな見方が可能だと思いました。
私は原作知らないし、性を真っ正面から描いた作品が得意なわけでもないんですが、生きるってことを生々しく語ろうとしたらこーゆーことなんだろうと思いました。
 生、性、聖、正……いろんな「せい」がこの話にはちりばめられています。


 「生きることに飽きた」と生まれた故郷に帰ってきて茫洋と食欲と性欲だけで過ごす勇介が、愛とは人のために何かをすることであって、笑顔でいれば万事上手くいく…みたいなことを説く京子と関係を持つことで、生きるということはどういうことなのかと、より懊悩を深めていく……という感じの話です。
 まぁもっと分かりやすく言うと、性欲に生きる男が女性とヤりまくって、ぐちゃぐちゃ言ってもとにかく生きるってのはこういうことだろと示しつつ、でもそんなもんでいいのかとどこかで疑問を抱きながら、欲望から逃れられずに生きていく……という話。
 主人公の視点だけでもかなり破綻してんのに、女性達もちょっと鬱々としてるんですよね。田舎の閉塞感とか、これでもか!!って見せつけて来ます。別に誰がそれに文句を言ってるわけでもないんだけど、どうしようもないことをどうしようもないと踏まえた上で、生きてこうとしている感じが……なんか重苦しい。セックスシーンが多発するんですが、それしか娯楽がないし、流されるようにみんな体を重ねてる感じがしました。「豚ばっかり!」とそんな状態を最初は嫌悪している京子ですら、いきつく先は同じ穴の狢。というか、この人が一番酷い感じがしました。

 上映終わったあとのQ&Aでは「レイプの描写が不快だった」とか、「罰せられないのはどういうわけか」という感じのことが海外の方からの質問であったんですが、これはフォークロアを知った上でなら納得できるだろうし、時代的には少し前だと思うので、もちろんそういう見方をされることは当然でも、私個人的には「いやいや、それでも許してしまう京子が一番気持ち悪いし…」と思いました。安っぽいポルノ小説みたいなこと言いますけど、結局求めてたんじゃねーの、と。
 だから、欲望に正直な勇介が一番真実に近くて、なぜだか後半正しく見えてくるんです。子供ができて、たとえ望んでいなくても、それなりに見られる「家族」になった所で終わるのかと思ったら、そっからが愕然としました。

 偽りでも、偽善でも、嘘っぱちでも、ぼんやりした「幸せ」があったように感じたのに、やっぱり人間ってどうしようもない生き物だと思いました。勇介が哀れにさえ見えるラストです。「生きるとは、どういうことなのか!!」最初と最後とでは随分その言葉も意味合いも違う感じはしました。

 それでも、この作品に込められたメッセージは、「そんなどうしようもない人間が、愛おしい」ということだと思います。
 「愛」なんてもんは、まやかしでしかないかもしれないんですけど、そういうもんに縋ってでも、拠り所にしてでも、人間は馬鹿らしいくらい真剣に生きてくしかない。正しく無くても、間違っていても、多分生きてる上ではみんなそれぞれに「真実」なんだと思います。



 役者さん達はもう揃いも揃って凄いんですが、大森さんのことを好きな人が見たら相当ショックを覚えるかもしれません。いや、しかしあのくらーい目が凄いです。やらしい手つきとか、とにかく頭に焼き付きます。凄いです。凄いしか言えないですけど。でも、凄いんです。……ちょいちょい榊英雄に見えるというのは、私だけではないと思うのですが……でも榊さん本人にやって欲しかったな…という気持ちも強くあります。きっともっと凄絶だと思うので。あの悪人っぽい人があんな酷いことしたら、もうそれだけで最強な感じがします。そんで、エロそう。

 あと、味があるのはやっぱり滝藤さん。半沢好きだった方は見るといいと思います。見事な役者さん。気弱そうな役で、こちらの生き方というものもグサっときました。折り合いがつけられない人だって中にはいるんだよ……という象徴だった感じがします。

 まぁそんなわけで、セックスの描写がすげぇとか、三輪さんとか美保さんとかがすげぇって簡単に言われちゃう感じではあるんですが、それ以外の所にも深く注視して見て欲しいなぁと思う映画でした。