今また同じ風が吹く〜日吉蘇枋のための物語〜vol.1

 彼女の方が、いつでも、いつまでも一枚上手だった。
 それは出会いの時も同じ。
 千枝からの電話で呼び出されて、馴染みの喫茶店に行ってみると、そこには見たこともない女がいた。多分、酔っぱらって寝た…とか、そういう経緯もなかっただろう女。
 黒い髪。そう、肩までの黒い髪が、真面目そうな雰囲気を醸し出していた。顔は上々。キレイに作られているな、という感じ。オレの回りには居ないタイプだった。簡単に微笑んだりしない強そうな目が印象的だった。頭が良いんだろうな、というのは瞬時で見抜いた。毅然とした態度は、それだけで女の価値を高める。
「…スオウさん?」
 まるで睨むように。…いや、実際彼女はオレが店に入ってきた瞬間から、ずっと睨んでいた。だけど、こちらに見覚えはない。オレが軽く首を捻ると、彼女は席から立ち上がり頭を下げた。ただ、きつい眼差しは変わらずに。
「千枝の友人の日吉といいます」
「日吉さん? オレに何か用? 千枝に呼び出されて来たんだケド?」
「率直に言いますね。千枝と別れて下さい」
 背は高くない彼女だったが、ピンと伸ばした背筋が、大きく見せていた。はきはきした口調も増長して。
「…なんで、それを友人のキミが言うわけ? 恋人同士のことを他人に決められる筋合いはないんだけど」
 真剣な表情の彼女には悪かったけれど、こういう場面には慣れっこだった。お決まりのセリフで宥めるなり、騙すなりして、事態を収束させる。簡単なことだ。だいたい収束しなくったって、別れると一言言えば気が済むのだろうし。
「二股掛けてるのに、どの面下げて恋人ですか?」
 二股ね、二股。自分が一番じゃないと気が済まないタイプの女って、邪魔くさい。自己主張が強いくせに、こういう場面では本当に消極的だ。自分が一番になりたいと申し出た瞬間から、それは自分が一番でないことを認めてしまうことになるのに。ほんと、世の中の女って、馬鹿ばっかりだ。
『ごめん、じゃあ謝っといて。好きだったけど、それを信じてもらえないならもういいって。言っておいてくれる?』
 ……そう言おうと思ったけど、なんとなくむかついたからやめた。そして、どうせなら修羅場にこの真面目そうな彼女も巻き込んだら面白いかと思ってしまった。
 わざとらしくならない程度に、オレは溜息をついて席に座り込んだ。頭を抱え込む形で、テーブルに肘をついて。
「…どうしたらいいと思う? 千枝には悪いことをしてると思ってるんだ。どうやって、謝れば許してもらえると思う?」
「謝っても許してもらえないと思いますけど?」
 冷たい表情。さて、どうしたもんだろう。二股男としてしか認識されてないな。
「もう一人の彼女とは別れる。そう千枝に伝えたいんだけど……協力してくれないかな? 千枝は今、どんな風に怒ってるだろう? 色々教えてほし…」
 刹那、目の前が茶色くなった。
「あつっ!!」
 オレは自分の髪から滴り落ちる熱くて茶色い雫に呆然となった。コーヒー? …コーヒー掛けられたのか、オレ?
「かなり待ちましたから、そこまで熱くないはずですよ。…それでもヤケドしたというなら裏手にある病院にどうぞ」
 そこで初めて彼女は笑った。
「貴方みたいな人とは絶対につきあいませんから。友達のことを悪く言うのはなんだけど、私は千枝みたいに顔だけで男性を選ぶような真似はしません。特に、貴方みたいな軟派で、節操のない人は大嫌いです。他の女の子を当たって下さい」
 初対面で、笑顔で、コーヒーをぶっかけて、大嫌いと言える女だった。
 違う世界の、種類の違う何かを見た気分だった。
 そして彼女が、実は自分と同じ医学部の学生で、そして裏手の病院…日吉医院の院長令嬢だと知ったのは、その一週間後のことだった。