貫井徳郎『空白の叫び』(上)(下)

 貫井徳郎という人は、なんでもない人の闇を描くのが上手いと思う。世間と折り合いがつきにくい人…というと凡庸になってしまうから、あえて作中の表現を引用すると「瘴気」を持つ人間だ。どろどろした、例えようのない恐怖だったり、怒りだったり、寂しさだったり…それは人によってまちまちだけれど…そんなものを内に抱える人を描くのが上手い。この作品は、最初から最後まで、そんな苦しみを抱えた少年達の話だった。

 人殺しはどんな場面だって「善」だと言いにくい。例えば誰かを護るために、例えば自分を護るために…それでも殺人は「仕方がなかった」なんて誰も認めてくれないから、きっとそれは「悪」なんだろう。当然した人間は罰せられるべきだ。罪を償わなければならない。……でもどうやって? 法律も制度も本当は甘っちょろいんじゃないかというのが私のシビアな考えではあるけれど、じゃあ他にどうする?と聞かれると困る。被害者にその判断を委ねる…が一番いいんじゃないかと私は思うのだが、それだって本当はおかしなことになるんだろう。

 少年達は、自分の犯した罪の重さを知った上で、自分で自分を遠ざけようとしているように見えた。痛かった。私が考えるように、きっと殺人者は被害者や遺族の言われるままに破滅させられている方がずっと正しい罰だと考えつつ、それでも社会とは関係せざるを得ない。そのジレンマが胸を痛くさせたのだ。「サボテンになりたい。そこだけで世界が完結しているサボテンになりたい」というような件では、少し泣きかけた。中学生の考えることじゃない。茫洋として、その心は深く沈んでいるのだ、と感じた。そして後半では、社会から逸脱している自分たちを慰める術が金しかないと考えた彼等が可哀想でもあった。

 空白の叫びは、誰かに届いたんだろうか。ただ、ひとつだけ言えることは、この小説に救いなんてない。ただあるのは救われたいわけではなかった少年達の真摯な思いがあるだけだ。

空白の叫び 上

空白の叫び 上

空白の叫び 下

空白の叫び 下