『マイノリティ・マインド』より

見つけたのでサルベージしていきます!
昔書いてたBL小説ですねー。
これ、続きが気になるよ……

『Implant〜住友夏樹×海音寺修シリーズ〜』

【1】
 最近部屋の暖房器具が壊れた。雪の降るこの季節に冗談はよせ、という感じだ。しかし、誰が何と言おうと本気の沙汰なので仕方がない。
 …で、僕は暖を求めて彷徨している。自分の部屋のエアコンが直るまでの4日間……1日目は図書館。2日目は行ったこともない塾の自習室。3日目は……
 ああ、こういう時だけ、僕は自分の交友範囲の狭さを怨む。こいつの次はあいつ、と渡り歩ける友人が2人か3人いたら良かったのに。
 3日目……今日は歯医者。すでに最終手段。
 冷たく鋭い機械音を横耳に、僕は微睡んでいた。こんな嫌な音の中で寝られる自分に微かに抵抗感はあるが、背に腹は代えられない。昼間は図書館なり自習室なりで潰せるが、夜自分の部屋に帰ると耐えられないのだ。ここ2日程寒さのせいで快眠できていない。そんなわけで僕は睡眠不足を解消できる場所を求めていた。そのうってつけの場所が、ココ、住友歯科だ。普通に考えると、歯科などで眠りこける神経が信じられないが、僕はこの場所の音にもニオイにも慣れてしまっている。勿論心地良いとまでは思っていないけれど、この院長室に漂う空気とか、出窓からの木立の風景とか、僕にとっては驚く程落ち着くものには違いなくて……。
 イギリスだかイタリアだかの家具職人が作ったとかいう、茶色い皮張りの座り慣れたソファに横になって、僕は夢の世界へ旅立とうとしていた。………だけど、安眠を妨害する者もいたりする。
「おや、来てたの」
 静かにドアを開ける気配。…ああ、そういえば機械音も子供の泣き声も止んでいる。だけど、僕は瞼を開けるのさえ億劫で、彼の言葉は眠ったフリをして無視してやった。
「寝顔はまだあどけないなぁ」
 ちゅっと音がした。目元に唇の感触。まったくもって少女趣味な行為だ。鳥肌が立つ。…と思っていたら、やはりこいつはそんな聖人然とした態度だけでは済ませはしなかった。
「………何してるんだよ……」
「襲ってるに決まってるだろう?」
 いけしゃあしゃあと言いながら、彼は床に膝をついて、僕の制服のカッターシャツの下から手を差し入れ、脇腹を撫で上げた。消毒したてらしい冷たい手にいっそう鳥肌が立つ。しかし彼は、僕が反射的にびくっと体を震わせたのにもおかまいなく、ベルトまで外しにかかった。
「せめて起きてる時にやったら? 寝てるヤツ襲うって空しくならない?」
「起きてたじゃないか」
 ああ言えばこう言う…。ニヤリとした獣じみた笑みを見て、僕は溜息をついた。そして、縦横無尽に肌の上を動き回ろうとする手を押し止めた。
「住友センセイ、悪いけど診察終えて速効でサカるような人につき合ってる余裕は僕にはないんだ。そーゆーコトは他の人にやって」
「冷たいなぁ。久々に会った恋人に、浮気を勧める神経が知れない」
「久々に会った“受験生”の恋人を、いきなり襲う神経が知れない」
 そう揚げ足を取ってやった。特に受験生という単語には力を込めて。この言葉を前にしたら、大人はみんな印籠を前にした町人みたいになってしまう。受験生サマサマだね。便利な単語だ。どんな魔法使いの呪文か知らないけど、こんなに効き目があるものを僕は他に知らない。ほら、夏樹も軽くホールドアップするみたいに手を止めた。
 だけど、どんな呪文よけのお札を手に入れたのか、夏樹は手の代わりに言葉を重ねてきた。
「楽勝なんだろう? K大の歯学部」
 ニヤリ、と秘密なんてお見通しだ、と言わんばかりの表情で。ああ、まったくもってこんないやらしい笑い方を出来る男が小児歯科もやっているのが信じられない。悔しいから、嘘を吐いてみた。
「そんな所は受けないよ」
「おや、心外だなぁ。将来は私の助手になってくれるんじゃなかったのか?」
 演技めいた表情。驚きました、というのを大げさに表す小馬鹿にした顔。いらいらするったらないね。 
「歯科医になるなら、もっとコネと金を作って、ここを買収するよ。住友センセイごとね。僕の下で働かせる」
「あはははは、それはいいね。その日を待ってるよ」
「逆玉狙いで、どっかの歯科医学部の学部長の娘とかと結婚して…そしたらすぐだよ。そんなに待たなくても十年のうちには」
「修は今更女なんて抱けないよ。分かってるくせに、馬鹿だね」
 誰がこんな体にしたと思っているんだ。だけど、そう突っかかるときっと夏樹は嬉しそうに自分だと言うに決まっている。そして「だから責任を取って一緒にいてあげる」とかなんとか、また寒いコトバを甘く言うに決まっている。考えただけでも薄ら寒い。だから、僕はすぐさま次の手を考える。
「じゃあ息子でもいいや。誑し込む自信があるんだけど、どうしてくれよう?」
「修の魅力に落ちないヤツはいないよ。だけど頭の堅い男にはそれなりの手練手管が必要だ。ああ、なんなら私が練習台になってやろうか? その学部長の息子とやらに見立てて私を口説いてごらん」
 にっこりって……むかつく程勝ち誇った笑顔。むかつく。一発くらい殴りたいくらいにむかつく。はいはい、今日も僕の完敗決定ですよ。はいはい、夏樹には適いませんよ。どうせ、その「練習」を始めても、夏樹の思う通りの展開にしかなんないんだから。
 僕はおとなしく白旗を振り、理由を説明することにした。
「…ごめん、別に夏樹をからかうためにやって来たわけじゃないんだ。真剣に眠くて…」
 いつだって、チェスか何かをやっているような夏樹とのせめぎ合いの会話に終止符を打つのは僕。それが悔しい。もっと皮肉もポーカーフェイスも上手くならないと、夏樹を操ることなんてできない。別に負かしてやりたい…とかそんなことを思っているわけではない。ただ、夏樹の言葉に一々翻弄されているのが自分だけなのが、時々すごく不平等な気がして。
 年齢差、14歳。住友歯科医院を28歳で嗣いで社会的にも安定している夏樹と、ただの高校生の自分とでは…あまりに違いすぎる。知識の量も、経験も。だけど、生きた時間が違うのだから仕方がないと割り切れる程大人ではない僕は、なんとかして夏樹を超えられるモノを探しているわけだ。そう、たとえ過去の約束を叶えた後でも、夏樹が僕に執着してくれるように。

 家のエアコンが壊れたという旨を聞いた夏樹は、白衣のポケットから鍵を取り出してきた。味気ない銀のキーホルダーについているその鍵は、見覚えのありすぎる、夏樹のマンションの家の鍵。
「ウチに先に帰ってなさい。寝てていいから」
「そのまま泊まれとか言いそうだから嫌だ。ここでいいよ。しばらく仮眠させて」
「ダメだ。自分のことを受験生だと言い張るなら、帰ってきちんと温かくして布団のある所で寝ろ」
 こういう時、夏樹は頑固だ。普段これでもかというくらいに無理をさせるくせに。だけど、その方がマシだ。保護者面されるのは、あまり好きじゃない。後見人という名目上仕方がないことなのかもしれないけれど。
「それとも、添い寝して欲しい? それなら早く仕事を切り上げるけど?」
 やらしいオッサンの顔。まぁ似合ってるから悪くはないけどね。僕はわざとらしく溜息をついて、その手から鍵を奪ってやった。
「一人で寝て、夏樹が帰って来たのも気付かないくらい爆睡します」
「相変わらずつれないね。あ、それとも興味のないフリして誘ってる? そういう態度は可愛すぎるから私専用のものだよ」
 寒い……。上機嫌で僕の腰に手を回す気が知れない。どこをどうとれば、そんな都合の良い解釈が出来るんだ。夏樹の耳は絶対に、奇妙な翻訳機がついている。頭のスイッチがいかれてるのかもしれない。だいたいにして、この僕を可愛いと表現するのはどうかと思う。
 クールビューティーだと言われるのはまだいい。雪女とか、サイボーグだとか、鬼とか悪魔とか、そりゃもう人外の表現をされるのが常で、自分でもうってつけの顔と容姿だと思うのに。それを可愛いと言うのだから……夏樹の感覚はおかしい。
 そして、奇妙な程に上機嫌な夏樹を見ていると少しばかり悪戯心が芽生えた。反撃するにはうってつけの体勢。僕は腰を抱かれたまま、夏樹の微かにマスクの跡がついている頬に唇を寄せた。唇にはしてやらない。ただ、その男っぽい骨格を見せる横顔に。
 近づくと、より一層消毒液のニオイがした。それが悪くないと思うようになったのは、いつからだったかな?
「『一緒に帰って、一緒に寝てくれないと寂しい』」
 上目遣いで、どこかのブリッコなアイドルみたいに。そして、一瞬の間だけ置いて、無表情に戻ってやった。
「……とか僕が言ったら、天変地異だろ? 青天の霹靂だろ? 雪とか降られたら嫌だから、受験が終わるまでは絶対にそんな特異なことは言わないから。そこんとこよろしく」
 そして僕は夏樹の軽い抱擁の罠から逃げ出した。これ以上側にいたら間違いなく調子に乗るだろう。たげと夏樹はにこにこしたまま僕を簡単に離した。
「…ということは、受験が終わったら言ってくれるんだ」
 出た、ご都合主義な耳。
「そんな上っ面だけの言葉で良いわけ? お手軽だね、住友センセイ」
「そう、可愛い恋人の言葉ひとつで幸せになれるんだ」
「嘘でもいいの?」
「嘘じゃないことくらい分かってるから。さてと、私の休憩時間も終わることだし。修も帰ってしっかり寝ておきなさい。…抱き枕の帰宅は7時過ぎかな?」
「別に抱き枕なんていらないんだけど」
「湯たんぽでもいいよ」
「……自分より大きな湯たんぽなんて御免だ。じゃあ鍵は開けたらポストの中入れとくから。勝手に入って来て、僕を起こさないでね」
 僕はそう冷たく言い放つと、マフラーを引っかけて院長室を出ようとした。が、思わぬ一言で僕は足を止めることになった。
「あげる」
「……は?」
「別にポスト入れなくてもいいさ。それは修の鍵だから」
「……はいっ?」
「同棲に踏み切れないなら、まず合い鍵から。素敵な考えだろう?」
 最後通牒だ。脅しだ。途端に、手の中の鍵が重さを増した気がした。どうしよう? 投げつけてやるべきか? そりゃあ3年間も同居を拒み続けていて、そろそろ向こうもしびれを切らしているとは思うが……いきなりコレはないだろう。唐突すぎる。これを受け取ったら最後か……エンゲージリング並の重々しさだ。まずすぎる。
「束縛する気はないよ。束縛はされたいけど。平日の昼間は静かだから。勉強しに来るといい。……他意はない。それだけだ」
「他意がたっぷりあるように聞こえるのは僕だけだろうか?」
「じゃあ鍵を貸してあげる。……私としては、返すのを忘れてくれると嬉しいけどね」
「……分かった。借りる」
 渋々、僕は鍵をポケットに仕舞った。よし、これは夏樹の部屋に置き忘れたことにして、明日にでも速攻で返してやろう。
 まだもうしばらく、答えは出したくないんだ。