気付かぬ好きを受け入れる(6/18記入)

朝だらだらしていたら、母から「今日遅い映画に行くから、その後そっちに泊まるかも」とメールが。
あわてたあわてた。
母なら散らかっていても別に怒りはしないけど、確実に呆れられる。
そのくらいに散らかってました。昨日の譜面隠し(結局インクなくて途中までしか作れなかったけど)の残骸とか、あとまだまだ途中でほったらかしだった衣替えとか、5月インテで手に入れた薄い本とか、4月のツーショットチェキとかいろいろ…色々!!

めっちゃ一気に片付けて汗だくでした。

でも一時間たらずであそこまで物をしまえるなら、もっとはやくに片付けろよ、と。
でも結局母は来なかったので、またこれしばらくしたら汚くなるんだー。
パン教室でみんなが来る時まで持続させて、さらに綺麗にしとかなきゃだなー。
パンフとかの片付け方が本当に分からなくなってきました。見せる収納ボックスみたいなの買おうかな……。




ところで、昨日もえぎとの会話で、また「無自覚の好き」について考えさせられました。
もえぎは、自分でも気付いていなかったけれどブロッコリーが好きで、頻繁に食べていたということでした。全然自覚はなかったらしいですが。
なんか、どこかで書いたような話だな、と。
「あー……他人に言われて気付くことってあるよね……」
て思わず返してしまいましたけど、もえぎにとってのブロッコリーは私にとっての唐橋さんだな、と思ってしまったわけです。並べるなよ、という感じではあるけど。
他人から見たら、どう見たって「いやいや、それめっちゃ好きよね?」て言われちゃうんでしょうけど、本人自覚ないっていうやつ。
弥次喜多以降はもう認めたけど、去年までの私は「そんなに好き好き言うてるかな……?」ていう感じでしたし。
もえぎに「それ、旦那は何も言わなかったの?」と聞くと「何も」と答えていたので、「無自覚の好き」を野放しにしてくれるなんて、相変わらず心の広い人だなぁと感心してしまいました。何も考えてないだけかもしれないけど。
でもまぁよく考えたら、あえて言わないよね。普通そこまで食卓に並んだり、舞台見に行ったりしてたら普通は自覚あると思ってるもんね。「あなた、本当にコレが好きねぇ」なんて会話になることってマレだと思うし。

「好き」は変な風にこじらせると厄介なので、きっと自覚を持っていた方がいい。

そういうわけなんで、人様の「好き」を見つけたら、自覚を促してあげようかと思っています。そして逆に友人達には促してもらおうかと思ってます。