今また同じ風が吹く〜日吉蘇枋のための物語第三章vol.2〜

 次に、気付いた時には、息子を傷つけていた。
 カッターの刃はメスとは違って上手く切れない。そのことに少し苛立ちを感じた瞬間に、少しだけ現実に立ち返った。檀の頬に流れる血。
 そこに彼女がいた証を見た気がして、酷く歯痒い思いに駆られた。
 猛烈な嫉妬心を息子に持った。彼女の存在を証明できる確かなモノを持つ男に、いらついた。生きているだけで、彼女が側にいる。
 羨ましい。羨ましい。羨ましい。妬ましい。
 死を受け入れ、怒り、嘆く、その真っ当さが腹立たしい。

 義姉が止めていなければ、オレはあの時檀も殺していただろう。

 ただ、
『お前を殺してやる!!』
 その言葉に、オレはほんの少しだけ救いを見いだした。
 透子を殺したのはオレだと、そう詰るものがいて良かった。
 親友も、義父も、優しすぎた。完全に社会を遮断したオレを見守ることしかしなかった。それなのに、ただ一人息子だけは厳しくオレを糾弾した。そう、あまりに正しい反応だった。
 正しくないのは、それをひねくれた捉え方をして喜んだオレ。
(透子は檀に殺されるなら許してくれるだろうか…)
 怨まれることで、自分を保つなんて馬鹿げた行為だ。それでも、自分のミスを責める者がいる限り、オレは透子とつながっていられる。
 
(透子…)

 それでも現実が希薄な時は、試しに、透子に出会う前の自分を思い出そうとした。
 執着するものも持たず、ふらふらと生きていた頃の自分。
 人間は一人で生きるものだと納得していたあの頃。

 そうして愕然とした。

 生まれてから出会う二十数年よりも、透子と過ごした十数年の方がずっと色濃くて。
 信じていたものを全て塗り替えられた十数年の思い出しか、自分にはなくて。

 こんなにも、こんなにも好きだったなんて気付かなくて。

 医者になどならなければ良かった。
 出会わなければ、良かった。