今また同じ風が吹く〜日吉蘇枋のための物語〜第二章vol.7
檀の祖父であるその人は、決してオレの事など好いてはいないのだと言う。
改めてそんな事を言われて、面食らったのは、透子の抗ガン剤投与が始まった頃だった。何を今更…と思った。好かれているなど、一度も思ったことはない。
大事に育ててきた一人娘を手込めにしたも同然の男を、許すはずもないだろう。憎まれこそすれ、好かれる要素はどこにもない。透子を下さいと言わず、病院をくれと言い放った男が、多少は使える大人になった所で、そんな感情は変わらないものだと思っていた。むしろ、オレが同じ姓を名乗ることが腹立たしいのではないかと想像したことさえあったのに。
なのに、彼は言うのだ。
「だけど……お前は死神にも嫌われそうだから、気に入っている」
彼は、親を亡くし、妻を亡くし、親友を亡くして、そして今娘を亡くそうとしている。
そんな彼は、自分のことを死神だと言うのだ。
笑えないジョークだ。
ここは病院で、生きたいと願う声が耳を塞ごうとも聞こえてくるような場所なのに。
彼は院長で、助けを待っている患者がたくさんいるような人間なのに。
「蘇枋、お前は絶対に死ぬなよ?」
穏やかで楽天的な彼からは想像もつかない、必死さで。
まるで賭けのことなど忘れたかのような、懇願する眼差しで。
「死ぬな」
そこが、戦場であるかの如く、彼は言うのだ。
オレが後追い自殺でもするように見えるのだろうか? それとも、檀がきちんとこの病院を継げるまでの、“つなぎ”としては認めてくれたということだろうか? どちらにせよ、オレは逃れられない。
オレはすでに彼に魅せられていたのだから。透子の時と同様に、その凄まじい程の存在感を見せつけられているのだから。
だからこそ、聞いてみた。透子と似た感性で、決して執着心などないような彼が、生きる目的にしていることを。
「院長、院長の行動原理って何ですか?」
「ん? “なるようになるさ”…かな?」
「意味不明です。そんなフラフラ生きているようには見えない」
「抜け殻なんだよ、本当は」
彼はそう言い、また穏やかな顔で笑った。それが、ニセモノの笑顔であることなんて、とうにオレは理解しているのに。
「大事なモノを手放した瞬間から、私は常に自分のことを考えなくなった。それが等価かと思ったからね。…それだけだ」
それが、何のことを差すのかは聞かなかった。浅はかなオレは昔に諦めた夢だろうと想像した。だけど、
「オレは、そんな風にはなりません」
確固たる決意で。彼の目は見ずに、ただ、前だけを見て、オレは言った。
「透子が死んでも、オレは自分を捨てるようなアホくさい真似はしません」
けれど、予感はあった。
捨てはしない。けれど……それ以外のモノをすべてなくしてしまう気はした。
自分だけの世界に閉じこもってしまう…そんな未来が、容易に想像できる。
それでも、それが彼の望む答えならば、オレは言うしかないだろう。
「お前は、本当に昔から……義父に対してまで遠慮がないね」
「これでも気を遣ってるんですよ?」
「平然と、表情変えずに、ぐさぐさと古傷をえぐるような真似をする…。息子じゃなければ、左遷したいよ。側に置いておくには目障りすぎる。ああ…殴っておくくらいは可能かな…」
「サンドバック代わりならいつでもどうぞ」
「お前はキツイ顔してマゾだよね」
「優しい顔してサドな人に言われたくないです」
オレ達は、自分の妻が、自分の娘が死ぬ瀬戸際にあっても、そんな会話をするしかない…そんな不器用な男達だった。
滑稽な程に……そう、見事な迄に、オレ達は透子の病気の事を無視しようとしていたのだ。